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竹尾ポスターコレクション・ベストセレクション12
構成的ポスターの展開 1950–1970

1950–70年代の構成的ポスターがたどった展開を、機能主義・応用美術・商業美術
という3つの角度から構成


会場:多摩美術大学 八王子キャンパス アートテーク1F
会期:2018年5月17日(金)~6月8日(土) 10:00–17:30
企画:ポスター共同研究会 
主催:多摩美術大学 共催:株式会社竹尾






今回で12回目を数える竹尾ポスターコレクション・ベストセレクション展は、1920年代のヨーロッパで生じた幾何学的傾向を持つ〈構成的デザイン〉が、50–60年代にたどった展開に焦点を当て、〈機能主義〉〈応用美術〉〈商業美術〉という3つの局面に注目して構成するものです。

いわゆる「ポストモダン」に先駆けるこの時代、第2世界大戦終戦後の戦後復興期に重要な進展を遂げたモダンデザインは、一層完成度を高め、一層社会に浸透しました。それと併行して、あるいはその結果として〈機能主義〉〈応用美術〉〈商業美術〉のそれぞれの領域で独自の展開を遂げています。

グラフィックデザインが、バウハウス以来の統合の論理から、分化と深化へと転じた歴史的局面を、ポスター表現を通じて探ります。

それまで統合を目指していたモダンデザインが、
分化と深化の段階に入った


たとえば「ニュー・ジャーマン・バウハウス」を標榜したウルム造形大学でビジュアルコミュニケーション科長を務め、後に学長を務めたオトル・アイヒャーやそのアシスタントを務めたロルフ・ミューラーの手がけるポスター群は、「ビジュアルコミュニケーション(視覚伝達)」という目的や印刷工程への注目という点で〈機能主義〉的なデザインとして捉えることが可能です。

一方、同じくウルム造型大学の初代学長を務めたマックス・ビルの強い影響のもとに発展した抽象芸術運動「具体芸術」を継承し、アーティストとしての活動を主軸に置きつつも、〈応用美術〉的にポスターを手がけたアルミール・マヴィニエやメアリー・ヴィエラらの作品が時と場所を同じくして登場しているという事実は、この時代をよく象徴しています。これらのポスター群は、構成的であるという点で方向性を同じくしていても、制作者にとってのデザインの位置づけがそれぞれまったく異なっている点で、それまで「統合」を目指していたモダンデザインが、分化と深化の段階に入ったことをはっきりと物語っているからです。

併行して、モダンデザインの一般化が進んだのもこの時代の特徴です。同時代のアメリカやヨーロッパにおいて、特に〈商業美術〉の領域で制作された構成的ポスター群は、モダンデザインが広く一般化したことを教えてくれています。

第2次大戦前のバウハウス、ロシア構成主義に端を発するモダンデザインの原点としての〈構成的デザイン〉が、いわゆる「ポストモダン」の直前に迎えていた先鋭的な表現と多様性を味わっていただければ幸いです。(ポスター共同研究会)

会場配布リーフレット

会場配布リーフレット



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ポスター制作者略歴

Aicher, Otl
オトル・アイヒャー、1922–91
ウルム(ドイツ)生まれ。ミュンヘンの美術アカデミーで学んだ後、1948年、ウルムに事務所を開設。1952年に、反ナチス・ドイツの抵抗運動・白薔薇の一員で1943年に処刑されたハンス・ショルとゾフィ・ショルの妹、インゲ・ショル(Inge Scholl)と結婚。翌53年、イングとともにナチスに虐殺されたイングの弟妹のための基金を設立し、その基金をもとにウルム造形大学を開校した。アイヒャーはヴィジュアル・コミュニケーションのコースで科長を務めた。そこで従来のグラフィックデザインを発展させたヴィジュアル・コミュニケーションの概念を構築する一方、具体芸術の考え方を持ち込み、ウルム派創生の牽引役となる。62年、学長に就任し、64年、退職。67年よりミュンヘン・オリンピックのためのデザインをプロデュース。

Bill, Max
マックス・ビル、1908–94
ヴィンタートゥール(スイス)生まれ。1927年よりバウハウスで学んだ後、30年、フリーのデザイナーとしてチューリッヒで独立。44年、バーゼル美術館で「具体美術」展を開き、具体芸術の思想を唱道。49年にはスイス工作連盟の依頼でバーゼル見本市に「グーテ・フォルム」展を組織。50年、ウルム造形大学創立のためカリキュラムの立案から校舎の設計までを引き受け、初代学長になる。57年、チューリッヒにアトリエを再開。具体芸術の活動を通して絵画、彫刻をはじめ、生活用品、建築、都市におよぶ多様な造形活動の統合による環境造形を実践。

Diethelm, Walter
ヴァルター・ディーテルム、1913–86
チューリッヒ(スイス)生まれ。グラフィックデザイナー、書体デザイナー、著述家。1932–33年、チューリッヒ美術工芸学校でグラフィックデザインを学んだ後、パリに移りランソン・アカデミーとグランデ・ショア・アカデミーで学ぶ。卒業後、チューリッヒのフレッツ印刷会社で10年にわたりアートディレクターを務める。1954年、チューリッヒで独立。ブックデザイン、サインシステム、展覧会企画、ロゴ、ポスターなどを手がける。

Gerstner, Karl
カール・ゲルストナー、1930–2017
バーゼル(スイス)生まれ。バーゼルの工芸学校でA. ホフマンに師事。1949年、ガイギー社に勤めた後、53年よりフリーランスに。ホルツエプフェル社、英国航空などの広告を担当。59年、広告代理店を開設。62年、ゲルストナー、グレディンガー+クッター/ GGK株式会社に社名変更。70年、GGKを退き、絵画とタイポグラフィに専念。第2世代スイス派グラフィックデザイン界にあって、理論書の著作も多く、世界的な影響をもったデザイナーのひとり。

Hofmann, Armin 
アルミン・ホフマン、1920–
ヴィンタートゥール(スイス)生まれ。チューリッヒ工芸学校で学び、アルフレート・ヴィリマン、エルンスト・ケラーらの影響を受ける。いくつかのスタジオで働いた後、1947年よりバーゼルの工芸学校でグラフィックデザインを教えるかたわら、デザインスタジオを開設。教育と実践の両面に、点、線、面といった根源的な視覚形態言語に基礎をおくデザインの考えを展開。80年より、イェール大学のサマー・プログラムのグラフィックデザインを担当。

Huber, Max
マックス・フーバー、1919–92
チューリッヒ(スイス)生まれ。チューリッヒの工芸学校と広告代理店で修行を積む。ハンス・ウィリマン教授との出会いでバウハウス流の方法とフォト・モンタージュを体験する。1940年からミラノで働いた後スイスに戻り、タイポグラフィの仕事に携わる。一方、M. ビルやW. ビショフに協力して展示デザインにも従事。46年、再びミラノに戻り、リナシェンテ百貨店、エイナウディ出版、レグラー木綿、スーパー・イタリアーニ、オリベッティなどのデザインを手掛ける。

Hablützel, Alfred
アルフレート・ハプリューツェル、1931–
パリ生まれ。7歳の時に一家でチューリッヒに移り住み、長じた後もスイスで活動。1950年代のスイスのモダン・インテリア・デザインを牽引した人物の一人。51年、チューリッヒ応用美術学校のインテリアコースの聴講生となる。同年、ベルン(スイス)の家具メーカー、テオ・ヤコブ社に就職。1955年に同社のロゴ・タイプをデザイン。1963-66年、雑誌『インテリア』の編集者、デザイナー。1966年、ハプルーツェル&ジャケット社を設立し、広告デザインを中心に活躍。インテリアデザインを中心に据えたビジュアルデザイン・写真を展開。

Mavignier, Almir
アルミール・マヴィニエ、1925–2018
リオデジャネイロ(ブラジル)生まれ。1946-48年、リオデジャネイロで絵画を学ぶ。53-58年、ドイツのウルム造形大学に学ぶ。その斬新なグラフィックとポスターデザインはブラジリアの建築や彫刻とならび賞賛される。65年、ハンブルク造形大学教授に就任。

Müller, Fridolin
フリドリン・ミューラー、1914–1996
バーゼル工芸学校で学んだ後、グラフィックデザイナー、広告会社でのアートディレクター、編集者として活動。後、同校で教鞭をとった。スイスにおけるモダンデザインの唱道者の一人。

Müller, Rolf
ロルフ・ミューラー、1940– 
ドルトムント(ドイツ)生まれ。1960年ウルム造形大学に入学。オトル・アイヒャーのもとで学んだ後、チューリッヒのミューラー゠ブロックマンのスタジオで1年間働く。1967年から72年までオトル・アイヒャーが率いるミュンヘン・オリンピックのVIデザインチームの副チーフを務め、タイポグラフィ、色彩設計、リーフレット、ポスター、地図、標識、ピクトグラムなど、ほぼ全領域にわたって手腕を振るう。85年から88年、自ら創刊した国際デザイン誌『HQ(High Quolity)』の編集長を務め、印刷とグラフィックデザインのクオリティの重要性を訴える。

Müller-Brockmann, Josef
ヨゼフ・ミューラー゠ブロックマン、1914–96
ラッパースビル(スイス)生まれ。1930年、グラフィックデザイナー見習いを経て、32-34年にチューリッヒ工芸学校でエルンスト・ケラーとアルフレート・ヴィリマンにインターン生として学ぶ。57-60年、ケラーの後任としてチューリヒ造形学校のグラフィックデザインコースの講師を務める。58-65年、『ノイエ・グラーフィク』誌の創刊・編集に加わり、リヒャルト・パウル・ローゼ、ハンス・ノイブルク、カルロ・ヴィヴァレリらと協働。60年に東京で開催された世界デザイン会議に登壇後、60年代から70年代にかけて日本で教育に携わる。62-63年、マックス・ビルに招かれウルム造形大学の招待講師を務める。

Nitsche, Erik 
エリク・ニッチェ、1908–98
ローザンヌ(スイス)生まれ。ミュンヘン美術工芸学校でフリッツ゠ヘルムート・エームケに師事。1934年、ニューヨークに移り、5番街サックス社にADとして勤める一方、ブルーミングデールズ、メイシーズ、オーバッハなどの店のデザインを行う。47年、ドートランド・インターナショナルの美術・インダストリアル担当の副社長に選任される。50年、ニューヨーク近代美術館デザイン部門の活動に協力。

Odermatt, Sigfried
ジークフリート・オーダーマット、1926–2017
ニューハイム(スイス)生まれ。独学でグラフィックデザイナーに。1968年からロスマリー・ティッシと協働。独創的なアイデアのもとに、タイポグラフィと写真を構成的に組み合わせた手法を展開。1988年、第2回ワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレ審査委員長、1993年から95年までキーラー・ヴォッヘ(Kieler Woche)社のポスターとグラフィック・イメージのコンペで審査委員長を務める。

Pintori, Giovanni
ジョバンニ・ピントーリ、1912–99
サルディニア(イタリア)生まれ。モンツァの高等産業芸術学校で学んだ後、ミラノの航空技術関係の仕事に従事するが、1936年、オリベッティ社の宣伝部門に就職。50年、同社グラフィック部門の責任者に就任。

Ruder, Emil
エミール・ルーダー、1914–70
チューリッヒ(スイス)生まれ。15歳から4年間、植字工見習いとして働いた後、1941年からチューリッヒ工芸学校に通い、ヴァルター・ケッヒのもとでレタリングとブックデザインを学ぶ。47年からは、バーゼルの工芸学校で美術・工芸部門のヘッドとしてタイポグラフィを教えるかたわら、グラフィックから展示デザイン、ウインドウディスプレイなどさまざまなデザインを手掛ける。

Stankowski, Anton
アントン・シュタンコヴスキー、1906–98
ゲルゼンキルヒェン(ドイツ)生まれ。1930年にスイスの広告代理店マックス・ダーラング社に入社。37年までチューリッヒでグラフィックデザイナーとして働く。この間にマックス・ビル、ヘルベルト・マターら、スイスの主要なデザイナー、アーティストと親交を持つ。68年、ベルリン市の包括的なデザイン計画のために「テクトニック・エレメント」と称するデザインを開発、建築物のサインから、市中のサイン、刊行物にまでデザインの一貫性を図る。また、ミュンヘン・オリンピックへの協力をはじめ、各種催しへの参画も多く。

Viera, Mary
メアリー・ヴィエラ、1927–2001
サンパウロ(ブラジル)生まれ。ベロ・ホリゾンテの美術アカデミーを修了。1952年、ヨーロッパに移る。彫刻とグラフィックの分野で内外の多数の賞を受賞。66年から93年まで、バーゼル工芸学校で空間デザインを教える。ラテン・アメリカにおける具体芸術の先駆者の一人。

E+U Hiestand Studio
E+U ヒーシュタント・スタジオ
エルンスト&ウルスラ・ヒーシュタントが運営するデザインスタジオ。それぞれ1935, 1936年にチューリヒ(スイス)に生まれる。設立当初はパッケージデザインを主に手がけていたが、後にグラフィックデザイン全般に活動領域を広げた。簡潔なデザインを徹底して展開するエルンストは、国際的企業のCIやグラフィックデザインを多数手がける。ウルム造形大学を含め、様々な学校で教鞭をとる。2001年からはチューリッヒ応用美術学校グラフィッククラスの科長を務める。ウルスラは、特に写真の領域でスタジオの手がけるデザインに感情という要素を導入し、同社のデザインに新たな展開をもたらした。


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アートアーカイヴセンター | 2018年5月17日




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1997年に株式会社竹尾から寄託され共同研究が続けられている20世紀の歴史的ポスター